赤ひげ忌

太寧寺にて行われた『赤ひげ253年忌祭』に参列させていただきました。

『赤ひげ忌』は、江戸時代の町医者で、漢方医の小川笙船の墓前祭です。「赤ひげ先生」の愛称で慕われ、山本周五郎の小説にも描かれた人物です。(三船敏郎が演じたクロサワ映画の方が有名でしょうか?)江戸市中の身寄りの無い病人の救済のために、小石川養生所を提案し、初代の肝煎(運営責任者)に就任。「医は仁術」を実践した名医として有名です。隠居後は風光明媚な金沢の地で過ごし、墓所は豊島区の雑司ヶ谷霊園ですが、遺志により太寧寺に分骨されました。

午後2時頃からご法要、ご子孫の小川明さんはじめ関係各氏がご列席でした。
その後、墓前にお参りしました。
f0232136_1021418.jpg
f0232136_1022012.jpg
f0232136_1022641.jpg
f0232136_1023253.jpg

太寧寺は瀬ヶ崎(現在の関東学院大学人間環境学部付近の山腹)にありましたが、昭和18年5月横須賀海岸航空隊の追浜飛行場拡張のため、現在の片吹に強制移転させられました。その折に、笙船の墓も行方不明、飛行場の埋め立ての際、海にでも沈められたのでは…と言われていましたが、ごく最近ご子孫の小川明さんが埋もれていた墓の一部を発見、平成13年に再建されました。

「雲語子之墓」のゆらい(墓前の説明板より)

「雲語子」とは、小川笙船藤原廣正(寛文12年壬子(1672)江戸に生まれ、宝暦10年庚辰(1760)6月14日、江戸で亡くなる。享年89歳)と言い、八代将軍・徳川吉宗の時代、目安箱に身寄りのない人や、生活に困っている人々のための医療施設(施薬院)の設立を申し出た。これが幕府に認められ、享保7年(1722)12月、江戸・小石川御薬園内に「小石川養生所」として開院し、その養生所初代肝煎(医院長)として活躍した。
山本周五郎作「赤ひげ診療譚」の主人公、新出去定「赤ひげ」のモデルとなった人物である。この業績が認められて、時の町奉行・大岡忠相から幕府の医師として推挙する申し渡しを、高齢を理由にして辞退し、養生所二代目肝煎役を倅の隆好に譲り、隠居した。その後、小川笙船は風光明媚な瀟湘としたこの地・金澤をこよなく愛し、晩年の3年間を瀬ヶ崎で過ごし、病気となり江戸に戻った。小川笙船は、宝暦10年庚辰(1760)6月14日、89歳で病死したが、枕元の遺言として笙船が過ごした瀬ヶ崎邑の山の手に建つ海蔵山太寧寺に歯を納めた。この時、太寧寺住職は、笙船は「山に居るときは海を語り、海に居るときは雲を語る」と聞き知ることから笙船を「雲語子」と名付け、ここに「雲語子之墓」を建てた。これが「雲語子之墓」の由来である。

平成13年10月16日 記す
記載責任者 日本大学教授 工学博士 小川明



f0232136_1025682.jpg

富岡駅前『横浜紅谷』さん製『赤ひげまんじゅう』(^_^;) ヤーコンなどヘルシーな素材を使用しています。…おいしゅうございました…<(_ _)>
by yokokana-kanko | 2012-06-14 09:43 | 歴史散歩