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夏本番!祭の季節到来!

梅雨明けしたとたん、夏らしい太陽サンサンの毎日になりました。
区内のあちこちの神社で夏祭が行われ、お神輿や山車、夜店などがにぎやかです。
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こちらは観光協会事務局にもほど近い洲崎神社。大きな幟が夏空にはためいています。
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入り口には盛り砂が…いわれを読んでみました。

『夏祭の盛り砂について』
昔、洲崎神社の神輿は「塩場(しょば)たれ天王」とも呼ばれ、町民の多くは塩場、今の平潟町及び平潟南部の一部で塩を造る作業をしており、行商で塩を売る人もいた。また各家の前に二ヶ所盛り砂をし神輿をお迎えし其の盛り砂が神輿に踏まれるとその年の塩の出来が良いと言われていた。現在神社前に浜砂を盛り頭に塩をのせ昔ながらの風習を残しております。  ・・・とのこと。

屋台も立派です。
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洲崎神社略誌

村社 洲崎神社

祭神 誉田(ほんだ)別命(わけのみこと)  配祀 大山咋(おおやまくいの)命(みこと)  倉(うか)稲(の)魂(みたまの)命(みこと)  大田(おおた)命(のみこと)  
磐(いわ)長比売(ながひめ)命(のみこと)  第六天神

由緒 当社は元富岡村と柴村との間に長浜と字せるところあり、現今は野口記念館のあるところにして昔時は十八町も海に突出し、今に長浜千軒と口碑に残れる程にて人家稠密し殷賑を極めしが、応長元年(1311)激浪の為洗い滅ぼされし住民の一部本村に移住す。依って産土神たる鎮守大六天社も同時に此処に移し造営す。
現今の社は天保九年六月十二日の再建にして、明治維新の際、神仏混交を廃せられ洲崎神社と改称す、而して社の鎮座地は他の神社と異なり古き頃より、家津良町道路の真ん中にあり、誠に珍しかりしが明治三十七年二月九日横浜金沢道路改修に付き現場に移転す。
明治四十年十二月県の訓令第四十九号により四十一年十一月境内の拡張をし、四十二年五月拝殿を増築し社殿完成す。
明治四十三年八月十五日本村泥亀鎮座社日枝神社(祭神大山咋(おおやまくいの)命(みこと))同社末社 稲荷社二社(祭神一社、倉(うか)稲(の)魂(みたまの)命(みこと)、一社、大田命) 合併許可八月三十日処分済み成る。
大正三年二月二十四日同泥亀姫小島無格社十二天社(祭神磐(いわ)長比売(ながひめ)命(のみこと))を、合併許可三月十日処分済み成る。
大正十年十二月十六日神奈川県告示第三百七十三号を以って神饌幣帛料共進神社に列せられる。


天王社 祭神 建速須佐之男(たけはやすさのお)命(のみこと)
由緒 元は町屋村と共同祭事を行い来たりしが為、洲崎龍華寺前天王河岸に地を卜して旅所となし小社をおけり。文化六年四月両村協議の上牛頭天王を二社に分かつ、文化十四年正月旧引摂院の一部を、天王地と定めて此処に移転造営す、現今の社なり。

氏子地区 金沢村洲崎(現今の洲崎、平潟、乙舳区域である)


(洲崎神社境内 説明板より)
by yokokana-kanko | 2011-07-08 10:34 | 祭・風景